先日友達とトランプの大富豪をやっていて、これって人間のコミュニケーションに似てるなって思いました。
手札のように自分にだけ見える考えや感情があって、その中から主張したいものを選んでおもてに出す。
出す順番や周りの人の動きを予測してタイミングをはかるところなんて、更に似ています。
しかし、こう思うのは一部の人だけなのかもしれません。
人間は、心の中でいろいろなことを感じたり思ったり想像したりすることが出来ます。
そして、必ずその一部をおもてに出そうとします。
mixiでみんなが日記を書き始めた頃、僕は人間がこんなにも自己発信をしたがっていたことに驚きました。
改めて周りを見ると、みんな当たり前のように日常で起こったことを他人に報告しています。1
そして、この自己発信が、日常の愚痴や日記(ブログ)に止まらない、もっと人間の本能的なものなんだということに気が付きました。
本能に近い部分では、泣いたり笑ったりすること。意識的なものでは、発言やファッションなんかがそうです。
そして、例えば愚痴を言う人と言わない人の違いは、この本能の強さと、どこまで意識的にコントロールしているかの違いだと考えます。
自己発信の動機には二種類あります。
発散と自己表現です。
感情を表に出すことでストレスを発散させた経験は誰にでもあると思います。愚痴るのもそうでしょう。
発散の特徴は、相手がいなくても成立することです。
昔々のある人が、王様の耳がロバの耳であることを知るのですが、誰にも話せず井戸に向かって叫んだというお話があります。
誰もいないのに自己発信することは一見不毛に思えますが、実は結構行われていることなのではないでしょうか。
例えば、独り言を言ったり、映画を見て泣いたり、誰にも見せない日記を書いたり。2
根拠の無い全くの勘ですが、人間がする自己発信の内、半分以上は発散が目的のように思います。
逆に、相手がいて初めて成立するのが自己表現です。
自分を可愛く見せたい、賢く見せたいなどと思った経験もまた、誰にでもあるでしょう。
こう書くと意識的に行うものだけが自己表現だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当然無意識にも行われています。
スーツを着るとキリッとしたり、出世すると威厳のある態度をとったりと、人は無意識に社会に合わせようとしています。
僕はあまり心理学には詳しくないのですが、ユングはこのことをペルソナと呼んでいたそうです。
さて、人間は悲しくて泣くときと、戦略的に泣くときがあります。3
自己発信の動機は二種類あっても、発信手段(表現方法)は共通なのです。
そうなると、どちらを優先させるかのトレードオフになります。45
自己発信の制御を意識的に行っている人の場合は、特にこのトレードオフに悩まされていることでしょう。
ちなみに、自己発信の手段には、表情(笑顔・涙など)、行動(大学進学など)、動作(腕組みなど)、発言(会話、独り言など)、ファッション(服装・髪型など)、文書(本・日記・手紙など)、アート(音楽・絵・彫刻など)などがあります。
動機、表現方法に続き、最後は意識/無意識です。
本来の意味とは少し違うのかもしれませんが、本音と建て前というのがこれに近いと思います。
本音と建て前を使い分けてる状態こそが、自己発信を意識して行っている状態です。
自分の自己発信を意識している人は、他人の自己発信に対しても敏感です。
よく痛いところを突かれると突然怒り出す人がいますが、普段から自己発信を意識している人から見ると、幼稚に見えることでしょう。
また、最近よく「空気読め」という言葉を耳にしますが、自己発信を制御することは、場の空気を読んで行動するためには必須のスキルと言えるでしょう。
コミュニケーションはお互いの自己発信によって成り立ちますから、それを読み取ったり制御したりすることは、コミュニケーションを円滑に行のにとても大事なことなのです。
さて、話は大きく戻りまして、この、どこまで自己発信を意識的にコントロールしているかというのが、大富豪をコミュニケーションと似ていると思うかどうかの違いだと思いました。
はてなの社長が「『へんな会社』のつくり方」という本の中で、大富豪で起業に向く向かないが分かると書いていましたが、大富豪には人間が社会で生きていくためのあらゆる要素が詰まっていると思います。
あなたは大富豪に、何を思いましたか?
なにー!!
こないだ大貧民しながらゆうあんはそんなこと思テタノネー。
深いっ。
高校の時からずっと考えてるテーマ(の一部)なんだよー