時代の流れ

前回書いた教授から借りてる資料ですけど、これは先日、教授のお知り合いが主催した、セマンティックコンピューティングについての研究会の資料です。
そこで、僕が考えているような人間中心のネットワークについての発表があったので、借りて読ませて貰うことになりました。
僕も教授もその会には参加していないのですが、教授は懇親会の方に参加されたそうで、その時聞いてきた話を聞かせてくれました。


例えばmixiのような人間同士の繋がりを表すネットワークがあって、ある人が出逢ったとき、名刺のようにお互いのIDを交換すると、お互いの関係が解るというようなシステム。
これも僕が前々から考えていた物なのですが、こういうことが研究会で発表されてるってことは、既にどこかで分野として出来上がっているのかもしれませんね。
だったら僕はそこに入るまでなのですが。

ところで、このシステムの話を聞いたとき、教授は受け入れがたい印象を受けたらしいです。
人間らしい交流を大事にしたいと。

これと似た話で、周りの友達に聞いてみたところ、「ネットで知り合った友達」というものに、多くの人が抵抗を感じるみたいです。
例えば友達が恋人が出来たと嬉々として喜んでいたので馴れ初めを聞いてみると、出逢いはネットだったと。それを聞いて違和感を感じる人は少なくないと思います。
ネットでの出逢いが当たり前になってしまったら、そこに人間らしさは存在するのか?と、多くの人はそう疑問を投げかけます。
僕は既にネット人間なので全然そんなこと無いんですけどね。

でもこれらって、本当に人間らしくないのでしょうか?
人と人とのコミュニケーション手段は、日々進化してきました。
今では当たり前となった電話も、江戸時代には考えられなかったコミュニケーション手段です。
少し前にはベル友やメル友という言葉が流行りましたけど、今やメル友じゃない友達はいないくらいです。

でも、これらに関して今の人は、別に人間らしくないとは感じませんよね。
同僚の友達として紹介された人と、携帯の赤外線通信で番号を交換して、その日の夜にはメールでお互いの趣味について語り合っている。
こんなの今じゃ誰も疑問に思わないくらいありきたりな出逢いですよね。

結局、需要がある以上、それは人間らしさの表れなのではないでしょうか?
人間は自己発信をしたがっています。
他人と繋がりたがっています。
これは人間らしさ以外の何者でもなく、それを満たす情報技術は、やはり人間らしい技術になるのではないでしょうか。

そんなことから最近、先入観とか偏見について考えることが多いです。

4 thoughts on “時代の流れ

  1. 退屈録 〜for goo〜

    メディア

    近年、携帯電話やパソコンの高機能化により様々なメディアを解した通信が行われる世になったきました。
    自分の研究の「背景」がこんな書き出しかのですが、
    たしかに、私が物心ついた

  2. 夏刈

    TBさせていただきました!
    いろいろむずかしいですね。

  3. わたあめ

    それを危険視、抵抗感があるのは
    そのメールや電話という情報の信頼性が
    低いからであると思うんだ(エラー率や遅延の増加)
    その人が本当に居るのか、その情報は正しいのか、そんな部分が大きいんだと思う。
    先生の求めてるコミュニケーションはきっと
    顔と顔、声色、息遣い、目線、手振り、身振り
    その相手と同一空間に存在する、五感で受ける
    生の情報に「触れ合い」に勝るものは今だ無いと思う。
    果たして、この世界が生なのかという問題を除いては。
    また、コミュニケーションの「きっかけ」としての情報化は素晴らしい発展だと思う、それは、「きっかけ」であって、最終的に行き着くのは、相手と「直接会う」「触れ合う」という行動に行き着くと思うんだ、僕は。
    先生は、生の人の触れ合いが減って
    情報化された触れ合いが増えることに
    危機感を抱いているんだと思う。
    情報やメディアは、補助的手段であって
    それが複合して便利にはなるけど
    それだけで、直接会うことが無くなってしまう
    そんな社会は抵抗があると
    先生は考えているんじゃないかな
    ちょっと鍋でも囲みながら、話したいな(笑)

  4. ゆうあん

    夏刈>
    TBありがとう!
    インターネットの匿名性はよく問題に上げられるけど、警察が本気になって調べたら、実はネットよりリアルの方が匿名性高いんだよね。
    だって、IP調べたらプロバイダまでバレちゃうもん。
    > 自分と相手のOKがなければ成り立たない
    これはその通りだと思う。
    ネットで出逢った場合の危険性っていうのは、ほとんどの場合、ネットから外に出た瞬間に発生するんだよね。
    オフ会で会ってデートする時と、ナンパされてデートする時の危険性は、どちらも大差ないと思う。
    ただ、昔に比べて出逢いの切欠は格段に増えてるから、出逢ったばかりの人にどこまで気を許すか、それは注意していかなくちゃいけないことだよね。
    わたあめ>
    僕は、不便さに人間味を感じてるのかなあって思った。
    人間って自分達が努力した成果を人工物と呼んで毛嫌いして、何もせずに得られる物を自然と呼んで尊ぶんだよね。
    おもしろいよね。
    それとも、自分じゃない人間が作ったものだから嫌うのかなあ?
    ネットでのコミュニケーションツールには、2種類あると思う。
    一つは実際に会えないときの代替物になるもので、もうひとつは今あるコミュニケーションを助けるためのもの。
    前者は電話とかチャットとかだけど、これらはしょせん代用品で、実際に会ってコミュニケーションするのには、やっぱり勝てないよね。
    直接会って触れ合う歓びは、何物にも代えられないでしょう。
    mixiとかGREEみたいなSNSは、後者に含まれると思うんだけど、これらは便利に越したことはないんじゃないかな。
    少なくとも僕は、出逢い欲しいよ。:p
    > それだけで、直接会うことが無くなってしまう
    便利な物が出来ると、全てがそれだけに統一されてしまうような錯覚に陥るけど、今既にあるものが良いものだったら、選択肢が増えるだけで悪いことにはならないんじゃないかな。
    鍋ゼミが楽しみです♪

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