研究が厭になってきてしまった。
作りたいものはある。けど、それじゃ研究にならないんだ。
研究にするには、需要が必要。数字が必要。
研究テーマにはまず、社会的需要が求められる。
「自分が欲しいから」や「あったら面白いだろう」じゃダメらしい。
また、結果として数字を求められる。
「あるパラメータを変えることにより、出てくる数字が変わる」、それが理想の研究らしい。
研究が出来ないと、卒論が書けない。卒業できない。
1年かけて研究するなら、やりたいことをやりたい。
そう思って、自分のやりたいことと「研究」をなんとか結びつけようと考えた。
そして道を見失う。
仲間と議論できるのがいいと言ったら、研究は一人で没頭してやるものだと言われた。
仲間と話す行為は井戸端会議と何ら変わらないと。
しかし唯一それとは違う議論の場があり、それが学会だと教えられた。
自分がやりたいことに忠実になればなるほど、研究というものとはかけ離れる。
僕がやりたいのは研究ではない、開発だ。根本が違う。
バザールの世界で生きてきた自分に、伽藍の世界は理解できない。
何か別の簡単な研究テーマを見付けて、そちらを卒論にしてしまおうか。
1ヶ月もあれば出来てしまいそうな研究に、1年かけて卒業している先輩は大勢いる。
作りたいものは、趣味で作ればいい。
躓く度、何度もその誘惑に駆られる。
研究とは何だろう?
大学院。
研究者ではない自分が、行くべき所なのだろうか。
しかしもし今就活の道を選んだとしたら、それは確実に逃げだ。
道はない。
初カキコ!
どうも,GREEの陽介です.
まず,『研究には社会的需要が求められる』は
確かにその通りだと思う.
研究には,
"What" : 何をやるか
"Why" : 何故やるか
"How" : どうやってやるか
の三つが必要だと言われています.
その中でも,"Why"がもっとも重要で,
"How"よりも重視される部分ですね.
今回の社会的需要というのは"Why"にあたる部分で,この部分が弱いと何のためにやっているのかがわからなくなってしまうという問題が発生する.
じゃあ"Why"はどうやってわかるのか.
これは,論文調査の結果,理解できると思う.
論文には必ず『何故行うのか』が書かれているはずだから.
そのため,自分のやりたい事があるなら,論文調査をやるのを勧めます.
次の『仲間と議論するのがいいと言ったら,一人でやるのが研究だと言われた』という考え方は賛同できません.
欧米式には,一人で研究を行うのが一般的らしいけど,仲間と議論するのは必要だと思う.
やはり人と議論する事で,新しい見方が生まれるはずだし,客観的な意見というのはいつ,どこでも重視すべきだと思う.
長いコメント,申し訳ないです.参考になればいいと思います.
なぜほしいかが社会的需要じゃないの?
さらにいえば、
ほんとにほしいの?
研究者としても開発者としても求められているのは
たぶん1つで、なぜそれが必要か説明する力だよ。
嘘八百でもスタートさせて、できたものでなっとくさせなよ。
さらにいえばキミにはそれができるんだから。
陽介>
コメントありがとう。
Computer Science Communityで集まる機会があったら是非たくさん議論して影響を貰いたいよ。
人と話すのはやっぱり楽しいから、そこから受けられる影響は、自分にとっていい影響だと思う。
Whyについては、もっと考えてみるね。
daichi>
なかなか器用に生きられない。^^;
隔週月曜が恐怖だよ……