訃音

先日サークルの先輩が亡くなりました。
一週間ほど連絡がなかったので、不審に思った友達が先輩の一人暮らししてるアパートを訪ねたら、既に冷たくなっていたそうです。
検死の結果、肺炎による呼吸困難が原因ではないだろうかとのこと。
人間の儚さを改めて思い知らされました。


それで、今日通夜が開かれるのですが、、、
会場が先輩の実家であるため二県隣の遠地であること。
何度か顔を合わせたことはありますが、個人的な付き合いは無かったこと。
そしてそんな中途半端な思いでは、直接的な悲しみではなく、ただただ死の重みに飲み込まれてしまいそうな気がしましたので、御見送りは代表の方にお願いすることにしました。

薄情でしょうか……。

訃音」への3件のフィードバック

  1. コウ

    お久しぶりです。コウです。ゆうあんさんのよく考えての判断でしょうから、いいだの悪いだのということはないと思います。
    人間の命って儚いですね。ある日突然いなくなる。実感が持てない、近しい人であれば、涙流して自分のことのように悲しめるんだろうけど、そうではない人の死というのはなんだろうなぁと思います。私もつい最近、何回かお話をしたことのある人が亡くなったという話を聞いて、一時的にど~んという衝撃を受けたのですが、残念だなぁと客観的に受け止めて消化したのか消化しきれてないのか、深く考える間もなく時間がその情報を風化させちゃって、記憶の奥底に沈みました。
    だから何ということはないんですよ。
    ゆうあんさんの態度に対する評価→自分の経験(同感)→示唆、オチっていうのはお決まりのパターンなのかなという気がしますが、私はそのパターンを踏襲して、「コレに学んで一人ひとりの時間を大切にすべき」なんていうステレオタイプのオチを付けたくない
    なと思いました。
    「人間って、案外脆いんだよなぁ、死んじゃうんだよなぁ。だからどうということはないんだけど。」ってことを言ってみたくなったので書いてみたのみです。
    素直なのか人間味がないのか天邪鬼なのか。今は自分と自分に深く関係のある人以外の人のことが大切で、自立してる人に対してはあまり興味がなくて、自分の頭で物事を考えられない人に対しては、なんとか、自分の幸せ見つけて欲しいとか、自発的に目標を掴み取る喜びを知って欲しいとか思い、それにはやっぱり日本の教育変えないとあかんな~とか、育つ環境整えてあげなあかんな~なんて夢を語りながら、実はコレって自分のエゴだったり、人助けしてるっぽい気がして自尊心をくすぐられてるだけなのかなっていう気がしたり。
    あまり、実感は持てないんですが、なんか、残念だなぁ。もったいないなぁ。と心の声が言ってます。

  2. コウ

    だいぶ日本語おかしいですが、気になさらないでください。

  3. ゆうあん

    お久しぶりです。
    書いた時の想いに共感していただけたみたいで、嬉しいです。
    人の死って、理屈抜きにしてど~んときますよね。それは人間全てに共通した本能のみたいなものなのかもしれませんけど、悲しいとか寂しいとかっていう感情を超越した、何かもの凄く重いものがのし掛かっています。
    身近でなかった先輩の死に対して感じているこの感情は、そういった畏怖の念であって、直接的な悲しみはわずかなのかもしれません。けどその畏怖があまりに大きすぎるので、感情系にまで影響を与え、色んなことを考えさせられてしまいます。
    僕もあまり綺麗事並べるのは好きじゃありませんけど、でも、ただただ重いよなあと感じました。
    そして儚いなあ、と。

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